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アーティストステートメントのための講評会(もしくは、アーティストになるための雑談)

2/20(Sat) 14:00〜/15:30〜

詳細はこちらをご覧ください。
今回は、美術評論家である椹木野衣さんの著作「シミュレーショニズム」から一節を引用し、その文章を自分なりに解釈して展示をしようと思います。


「恐れることはない。とにかく「盗め」。世界はそれを手当り次第にサンプリングし、ずたずたにカットアップし、飽くことなくリミックスするために転がっている素材のようなものだ。」
ちくま学芸文庫『増補 シミュレーショニズム』p.116
この文を自分なりに解釈して計画する展示は以下のようなものです。

自分宛に届いた年賀状を展示する。その展示風景の前で記念写真を撮り、ハガキに印刷して年賀状を出す。



自分なりの解釈とは以下のようなものです。

個人的なことを話すと、僕は大学一年のときに『シミュレーショニズム』を手にとりましたが、はっきり言うとよくわかりませんでした。最後まで読むことができませんでした。ただ、本文に入る前のそのイントロの一文はキャッチーで印象に残りました。漠然とかっこいいな、と思った僕は Tumblr(スクラップブックのように好きな画像や文章を集めることができるウェブサービス)に「引用」としてサンプリングしました。

盗用とサンプリングの違いは何でしょうか?シミュレーショニズムの一節でさえ(よく理解していなかったのにも関わらず)サンプリングしてしまった僕は、自分に送ってくれた友人が書いた年賀状ですら、展示することで僕の作品にすることができます。

とにかく「盗め」。Tumblr でいうところの Reblog のように、文脈から切り離された言葉は引用から引用され、解釈につぐ解釈が続いていきます。

何か新しいことが起こっているような気がするのですが、その前で本一冊読み切れない僕なんかができることってなんなのでしょうか。しかたがないので記念写真でも撮ろうと思っています。
今回は写真家の福居伸宏さんがご自身のサイト上で公開されているステートメントを参考に作品を制作、展示してみようと思います。全文引用させていただくと、福居さんのステートメントは以下のものです。


私は、私の写真をある種のウイルスだと位置づけています。たとえば、盲目の
人が光を取り戻したとします。網膜に差し込む十分な光、視神経から脳髄に伝
達される正常なパルス。しかし、その人は、目に届く光を感知できたとしても、
しばらくは「もの」を見ることができないでしょう。視覚経験のデータベース
に「もの」が登録されていないからです。「見たことのないもの」は「見えな
い」ということです。「もの」が見えなければ、空間=外界世界が知覚される
こともありません。では、「もの」が見える人はどうでしょうか。データベー
スは過去の視覚経験から選択保存されたものです。今日、人々の視覚経験は、
直接的にも再帰的にもメディアから大量供給される映像と情報に規定されてい
ます。敷衍して言えば、人が何を知覚するのかは、「もの」ではなくメディア
によるということです。そうした状況にある人々が、私の写真に感染すること
で、何を見るのか、何が見えるようになるのか、ということに興味があります。
(Every Sunday Nobuhiro Fukui http://www.nobuhiro-fukui.com/frame_statement.html より, 改行原文ママ)
このステートメントを自分なりに解釈して僕(中尾)が作品を制作します。
以下が作品の概要です。

小学生の頃に集めていて、今も自宅の本棚に並んでいる漫画「ドラえもん」全45巻を梱包し、電車に乗って自宅からCASHIの冷凍庫まで運び、冷凍室に「ドラえもん」を並べ、冷凍/展示します。また、梱包と運搬、展示するするときをビデオで録画し、かしがろうのwebサイトで公開します。

例えば、冷凍庫は本棚ではありませんから、通常は漫画は入っていません。しかし、冷凍庫の扉を開けるまで何が冷凍されているかは当然ですがわからないわけで、もしかしてそれは「ドラえもん」が入っているかもしれない。そうやって視覚的な実例として、この展示をします。

それこそデュシャンが美術館に便器を持ち込んだ瞬間にすべてのものを美術作品として見ることが可能になったように、(個人的な解釈ですが)現代美術は視点を変える方法であるとも思います。果たして本当に「もの」が見えているのか、視点を変えることで検証することができるのかもしれません。福居さんが人々の視覚を形成したと指摘する大量の映像と情報を供給するメディア、そのひとつのインターネットの中で、この展示を行った情報や、行っているときの映像を公開することは、もしかするとウイルスのように誰かの、またはほかならぬ僕の視覚に影響できるでしょうか。それとも、僕はそのようなメディアに規定された視覚によってドラえもんを冷凍してしまったのでしょうか?

タイトルは「ウイルス冷とう庫」にします。
詩を書こうと思った
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エスカレーターに 7 枚のシール
1枚目はステップの中央にお立ちください
2枚目はベルトにしっかりおつかまりください
3枚目はエスカレーターを歩くのは危険です
4枚目は小さなお子様へおねがい エスカレーターで遊ばないでね
5枚目は黄色い線の内側にお立ちください
6枚目は7枚目。
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快速急行で絵本を読む声が聞こえた。
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ここから美術がはじまる点の前で立って、目を開けたら布団のなかで夢でした。
やかんに火をかけてお湯を沸かして髪を洗って髭剃って、
洗顔泡立ててお湯湧いて水筒に紅茶を淹れて、
着替えてバナナ食べてトイレ行って時計見て、
靴ひも結んで踏み出した、右足のその一歩が、美術がはじまる点だとしたら。
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世界中のウェブサイトのフォントサイズが 1px 小さく見える病気は咳で感染する。
ウイルスは喉仏に待機していて咳で外に出る機会をずっと伺っていて、
たまに開く口から見える景色は検索窓のそれに似ている。
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朝寒い
昼寒い
夜寒い
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詩を書いてみてわかったこと。

詩を書くには余裕が必要だ。そして時間もいる。
書くことにかかる時間は一瞬かもしれないが、その一瞬までに時間がいる。
詩を書くには詩を書こうとしなければならないし。
それで、詩を書くのは恥ずかしい。
まるで自分が何か詩を書けるような気になっているうちに詩を書くことが。

だけど。だけどなんて言葉はこれからあまり使いたくないけど、詩を書こうとすることが、もしかしたらこれも詩ではないかと思うことで、例えばデュシャンが両手で男性用小便器を抱えて美術館に持ち込んだ瞬間や、4 分 33 秒の初演時にピアニストが騒然とする場内でそっとグランドピアノの蓋を閉めた瞬間にもあった、実際にはそんなこと起こらなかったことなのかもしれないし、それはすべて僕の妄想かもしれないが、世界のファームウェアが更新されるような感覚を覚えるんだろう。

回答は、すべての言葉が均等に可能性を持っていて、
そのなかで寝たり起きたり恋人とキスをして、詩を書こうとすることに意味があること。
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現代美術のアーティストである島袋道浩さんの「わけのわからないものをどうやってひきうけるか?」という作品があります。ドイツ人の学生に彼らが理解できない日本語の歌をただ覚えて歌ってもらったビデオ作品のようなのですが(残念ながら僕自身このビデオ作品を観たことはありません)、この作品について島袋さんが個展を開催したワタリウム美術館のwebサイトに書かれた文章を読んで、なるほど、と共感するところがありました。

「今の時代っていろんなものや人や思想が飛行機に乗って、インターネットに乗ってすごい量、すごい早さでやってくる時代ですよね。そうなると全部が全部を理解しようとすると追いつかない。わけの分からないものをわけの分からないままなんとか引き受ける、時にはわけの分からないことと距離、間合いを取ったりしてなんとかやっていくような技術とかが必要な時代だと思うのです。わけが分からないと言って殺したり、攻めていってはいけないと思うのです。
この「わけのわからないものをどうやってひきうけるか?」というのはこの10年ぐらいの僕の大きなテーマであり、この星のみんなのテーマでもあるとおもいます。今回、その象徴的な例のひとつとしてドイツ人の学生が意味の分からない日本語の歌を意味の分からないまま覚えて歌っている映像を見せていますが、この作品を見た人がそれぞれ「わけのわからないものをどうやってひきうけるか?」ということをそれぞれの方法で考えてもらうきっかけになればいいな、と思っています。
そしてこれからの美術と美術館の役割のひとつは実はわけの分からないものを引き受ける練習の場ではないか、と思うのです。よく「現代美術は分からない。おもしろくない。」という言い方を聞きますが、実は美術は分からないからこそ意味があるとも思うのです。」
http://www.watarium.co.jp/exhibition/0811shimabuku/tolk2.html

そして島袋さんの作品には、島袋さんにとっての「わけのわからないものをそのままひきうける」へのひとつの回答のように、「やるつもりのなかったことをやってみる」が提示されています。

「自分自身、やるつもりのなかったゴルフをやってみて、今まで話すのが難しかった日本のある種のおじさんたちと話すきっかけができたという体験をしたんです。自分のことを理解してもらいたかったら、まずこちらから歩み寄って相手のことを理解しようとすることが大切だなと思うのです。だから「やるつもりのなかったものをやってみる」というのは「わけのわからないものをどうやってひきうけるのか?」という問いに対するひとつの答えでもあります。」
美術手帖 2009年3月号 p.172
さて、それでは僕にとっての「わけのわからないものをそのままひきうける」への回答とは、どのようなものでしょうか。そこで、今回のかしがろうの展示では詩を書くことにしました。

詩は、僕にとって理解できないもののひとつです。理解できず今まで避けてきたものでもあります。詩を書くことで、自分のなかの詩について考え(そもそも詩って何?)、向き合って、自分にとっての詩を完成させたいと思います。また、詩を書き上げるプロセスで得られた"詩を書くような視点"が、自分が書こうとしているアーティストステートメントに影響するのではないかと期待しています。

具体的には、まず僕が詩を書きます。僕がそのデータをメールでCASHIへ送信いたしますので、受信しだいお手数ですがCASHIでプリントアウトして冷凍庫内に掲示していただきたいと思います。詩は完成しだいお送りしますので、不定期ですが、だいたい最低でも週に1本は書き上げたいと思っています。

ただし、僕は詩に関して今まで避けてきたぐらいなので、詩に理解がないかもしれません。そのような僕が書く詩は、掲示に値しないものである可能性があります。そこで、CASHIで受信した際にいちど詩を読んでいただき、掲示に値しないと思われるもの(CASHIスタッフのみなさまの独断で構いません)は破棄していただきたいと思います。その際に、僕に破棄した連絡は不要です。掲示されているのかどうかわからないまま、書き続けたいと思います。

最終的に、掲示した詩もしなかった詩も、すべての詩はかしがろうのwebサイトに掲載します。

タイトルは「書くつもりのなかった詩を書いてみる」にします。
いままでこのプロジェクトではアートへの疑問をもとに展示を企画し開催してきましたが、実際に展示をしていくうちに、それほどまでに"現代美術家になりたい"のであれば作品を制作するべきなのではないか、と感じてきました。アートへのアンチテーゼのみを原動力に作品を制作するアーティストもいると思いますが、本末転倒のような気がしてきた、というのも客観的に自分でこのプロジェクトを見てみた素直な感想です。そこで、前回の中間講評会を区切りにして、このプロジェクトのバージョンアップ、「アーティストステートメントのための習作 : 2nd Season」として実際に作品を制作し・展示していくことをもとに、最終的にステートメントを書くために必要なことを考えていこうと思います。

しかし、当然ながら僕はアーティストではありません。
(何をもってアーティストとするかは問題ですが......)

よって、作品をどうやって作っていけばいいのか、よくわかりません。そこで、とりあえず既にアーティストが作ってきた作品を見て、またはアーティストが考えたことを知って、それこそアーティストがステートメントを書いていればそれを読んで、自分なりに解釈した上で「真似」をして作品を制作しようと思います。

学ぶ、の語源は まねぶ、つまり 真似ぶ。真似から来ているのだそうです。
模倣するということは、学習することなのかもしれません。
(まあ、このことも横浜美術館の森村泰昌 「美の教室−静聴せよ」展で言われていたことのパクリですが)
さて、その上で今回の展示はアーティスト・田中功起さんをもとに展示をしようと思います。
個人的に僕が今いちばん大好きな作品を挙げるなら、田中功起さんの作品を挙げます。
ご自身はビデオアーティストではないと発言されていますが、ビデオを使った作品で知られています。

everything is everything
http://www.youtube.com/watch?v=ym0LaSAn5n8

how to draw a line on the road
http://www.youtube.com/watch?v=wxbF6Bo2JTQ

そうして群馬県立近代美術館にたくさんのたらいが落ちる
http://www.youtube.com/watch?v=Gk-hIpIHh28

また、雑誌STUDIO VOICE vol.370 (2006年10月号)での対談では、
『アーティストが観客に向けて固定した読みを要求するみたいなことは、僕にはできないですね。自分が伝えたいメッセージを、自分の作品を読み解かせることで伝えるという作品をつくる技術はないし、そんなに伝えたいメッセージがあれば言えばいいし。たとえば「マジで千年でも君のことを待っているよ」ってメッセージを作品で伝えるよりもそうやって言葉にした方が伝わるよね。それよりかは解釈をするにしてもしないにしても土台になる作品としての必要な情報「ビールがビールである」ってことを徹底して伝えてみる。その時その作品の前では僕も観客になれる。僕もそのビールを見て、なんなのか考えたい。』
と発言されています。

田中功起さんの考え方を僕は完全に理解できているとは思えませんが、それでも僕なりに解釈した田中功起さんの方法論をもとに、作品を制作するとすれば......

そこにある「もの」を、そのまま見る。ありのまま見るために、僕はCASHIの近所のコンビニでアイスを買って、CASHIの玄関前で溶かします。そうやって、アイスは溶けるんだ、ということをよく見てみようと思います。そうして現代美術作品が展示・販売されているギャラリーの前で溶けてほとんどなくなってしまったアイスと残った棒を、冷凍庫に入れ、保存し、展示します。(アイスが溶けているあいだはビデオで撮影し、かしがろうのweb上で公開します)

まだ溶けていない新品のアイスをさらに買ってきて、比較して展示するのもいいかもしれません。

タイトルは「そうして現代美術の前でアイスが溶ける」にします。
◎追記 2009.11/5
展示終了後、アイスは現代美術の前で溶かされて処理されました。

(写真協力: 杉浦慶太)

中間講評会

「アーティストステートメントを添削してください」

プロジェクト「アーティストステートメントのための習作」では、4月から かしがろう(CASHI の冷凍庫)で4回の展示を行ってきました。それらをふまえ、いわゆる「アーティストステートメント」と呼ばれる 作品を作る自身のスタンスについての文章を書くための練習として、草案を書きました。冷凍庫の中で冷凍しています。ぜひ同じく冷凍している赤ペンでこのアーティストステートメントの草案を添削してください。ご意見は今後の作家活動に反映させていただきます。

◎中間講評会の会期終了後、添削結果はweb上で発表させていただきます
忘れているあいだに作品を作りたい。

作品を作ることによって、誰かに何かの影響を与えるとか、地域を活性させるとか、
扇動したり世界を変えたことが今までにあったであろうし、あったし、
これからもあると思うが、そういったことはすべて忘れたい。

作品を作ることによって、誰かと話すことができたり、作品を作らなければ
起こりえなかったような経験をすることができたであろうし、できたし、
これからもできると思うが、そういったことはすべて忘れたい。

普通に生活をして、例えば恋人といちゃついているなかで、
自然に作品を完成させたい。ということが、僕にとっての美術だと考える。
そういう考え方で作ることが、今まで僕を救ってきた現代美術のような気がする。

(現代美術家になってしまうと、現代美術は作れないのではないか?)


中尾崇志
2009. 9/3
CASHI の近所の適当なコンビニで「ガリガリ君」を購入し、そのままギャラリーの冷凍庫に持ち帰り、エディションをつけて同じ価格で販売した。近所のコンビニの冷凍庫からギャラリーの冷凍庫に置きかえただけで作品になるのか?同じ価値で広く流通しているものにエディションをつけることで付加価値はつくのか?を問うことで、学校(美大)で教わったデュシャンってなんなのか?そもそもエディションとは何か?を考えた。また、ガリガリ君が売れた際にはCASHI から自分(=作家)に連絡してもらい、連絡を受けた場所の近くでガリガリ君を買い求め、その場で食べた。作家自身の胃によってエディションの意味を崩壊させた。

アーティストステートメントのための習作 #4
2009 7/18 - 8/8
通常、展示をしようと思った場合にはいわゆる貸し画廊などにお金を出して場所を借りて、DMを刷って告知をして、決められた期間中に開場時間に行けば作品を見ることができるのが一般的な展示のやりかただとして、その他の展示方法を考え、展示場所として用意されていない場所で/不定期に/告知をせず展示した。具体的には、通っている大学で、授業が行われていない時間帯に手続きをして教室を借り、期間中ほぼ毎日、 1時間ほど告知をせず映像を投影する展示を行った。かしがろうではそのときの記録写真や、実際に教室を借りるために大学に手続きをした許可証など、そのような展示を行ったことを展示した。

アーティストステートメントのための習作 #3
2009 6/5 - 6/27
例えば絵画作品は、キャンバスの大きさが作品の価格を決める大きな要素になっていて、作品に描かれているものや作家が描こうとしたものは別のものだとしても、同じ作家の名前(経歴)の同じサイズの作品は同じ価格で取引されている。それをふまえて、冷凍庫の中で自分の映像作品をDVDで販売した。1秒=1円。どんな内容であっても映像の秒数で価格が決まる。それは非情なのか?それとも内容量に比例した価格は相応なのか?作品に価格をつけるとはどういうことなのだろう。そもそもアートとは、倫理的に、販売してもよいものなのだろうか?販売したDVDは全て同じ形の円盤だ。

アーティストステートメントのための習作 #2
2009 5/8 - 5/30
高校3年生のときに美術大学に入学しようと決めたのはまぎれもなくアーティストになるためであったし、美術大学に入学するためには美術予備校に通わなければならないと考えたし、美術大学に入学する以外にアーティストになる方法を検討しなかった自分が、入試1週間前から当日までに実際に書いていたノートを展示した。「美大に合格するためのメモ」にはアーティストになるために美術大学へ入りたい、『表現するために入学したい』という"すり替え"の裏付けになるような記述が散見される。美大に合格するためのメモの中で、表現したいという記述があることは、一歩引いて読んでみると逆の意味で表現に関して示唆しているようにも見える。そういえば、美術や表現することは、誰かから教わるものだったのか?教わることができるものだったのか?

アーティストステートメントのための習作 #1
2009 4/10 - 4/25

かしがろう、とは
 

東京・馬喰町の現代美術ギャラリーCASHI内のバックヤードで
実際に使用されている冷蔵庫の冷凍室に開廊された新しいギャラリーです。
展示スペースは華氏マイナス0.39度。
夏季は庫内にて製氷及びアイスの保管が行われることもあります。

プレスリリース (PDF)

プロジェクト「アーティストステートメントのための習作」
Study for Artist Statement

美術大学で映画を専攻する「現代美術家志望」の学生が、1年間にわたって自身のアーティストステートメントを書きながら、現代の美術大学で行われている教育、そして実際アーティストになるために学ばなければいけない“ほんとうの” こと、そもそも“アーティストになる” ということの意味について考えていきます。

書き途中のアーティストステートメント及びステートメントを描いている間に制作された作品、レポート、その他様々なメディアを随時「かしがろう」にて公開し、鮮度を保ったまま冷凍保存していきます。

販売可能なものは無人販売所形式にて販売し、売上げは当プロジェクトの更なる発展のために使用されます。

2010年3月、完成した/完成させなかったアーティストステートメントを同じく「かしがろう」にて公開する予定です。


会期: 2009年4月10日(金) - 2010年3月31日(水)
実際にやる人: 中尾崇志
口出す人: 松島英理香

JR・都営浅草線 浅草橋駅

A2出口より徒歩4分

JR 馬喰町駅
都営新宿線 馬喰横山駅

C4出口より徒歩4分

開廊時間

火~土 11:00~19:00

休廊日

日・月曜日及び・祝日

住所

〒103-0002
東京都中央区日本橋馬喰町2-5-18-1F CASHI内
バックヤード 電気冷蔵庫137L 2F

CASHI

mail: info◎cashi.jp
tel : 03-5825-4703
fax : 03-5825-4704

中尾崇志

mail: quao◎kugr.info
website: www.nakaotakashi.com